エリア | 北海道地方 | 東北地方 | ||||
関東地方 | 中部地方(甲信越) | |||||
中部地方(北陸) | 中部地方(東海) | |||||
近畿地方 | 中国地方 | |||||
四国地方 | 九州・沖縄地方 | |||||
所在地 | 神奈川県小田原市 | 旧国名 | 相模 | |||
別名 | 小峯城(小峰城) | 小早川城(小早川館) | ||||
城郭構造 | 山城 | 平城 | 平山城 | |||
天守の状況 | 現存天守 | 木造復元天守 | ||||
外観復元天守 | 復興天守 | |||||
模擬天守 | 残っていない | |||||
建てられていない | 不明 | |||||
天守の構造 | 複合式層塔型3重4階 | |||||
築城者 | 大森頼春 | |||||
築城年 | 1417年(応永24年) | 室町時代 | ||||
廃城年 | 1871年(明治4年) | 明治時代 | ||||
指定等 | 日本100名城 | 続日本100名城 | ||||
国宝 | 国重要文化財 |
江戸城より東方の防御の要
下総守護である千葉氏は本佐倉城を居城としていましたが、佐倉城への移動を計画したものの、内紛などの影響で中断します。
実質的に佐倉城が整備されるのは1610年(慶長15年)に土井利勝(どいとしかつ)が入城してからのことです。
その後の城主はめまぐるしく代わりますが、親藩、譜代が城主を務め、1746年(延享3年)より明治時代までは堀田氏が城主となりました。
城は鹿島台地の先端部に本丸を構える梯郭式の構造で、曲輪間には巨大な空堀が巡らされ、さらに本丸崖下には水掘が巡らされていました。
みどころ
- 城跡は佐倉城跡公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
- 三の丸には国立歴史民俗博物館が建っています。
- 本丸には三重五階の天守や太田道灌(おおたどうかん)の江戸城静勝軒を移したと伝えられる銅櫓などが構えられ、現在はその土台が残っています。
- 城下町には武家屋敷街が残っています。
アクセス
住所/千葉県佐倉市城内町官有無番地
アクセス/京成佐倉駅より徒歩約20分
JR佐倉駅より徒歩約25分
関連サイト
佐倉城跡公園について|千葉県佐倉市公式ウェブサイト
https://www.city.sakura.lg.jp/0000000987.html
参考文献
- 「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社