別名 | 要害城 積翠山城 |
地方 | 中部(甲信越)地方 |
所在地 | 山梨県甲府市 |
旧国名 | 甲斐 |
天守 | 建てられていない |
築城時代 | 戦国時代 |
築城年 | 1520年 (永正17年) |
築城者 | 武田信虎 |
城タイプ | 山城 |
備考 | 続日本100名城 |
武田三代の居城 躑躅ヶ崎館の「詰の城」
要害山城は、武田信虎(たけだのぶとら)・武田信玄(たけだしんげん)・武田勝頼(たけだかつより)の三代にわたって使用され、武田勝頼(たけだかつより)が新府城へ移るまでの62年間、武田氏館跡とともに武田氏の領国支配の本拠地となった山城です。
武田氏館(躑躅ヶ崎館)の詰め城として、武田信虎(たけだのぶとら)によって武田氏館(躑躅ヶ崎館)を築いた翌年の1520年(永正17年)に築かれた城で、武田信玄(たけだしんげん)の生誕の地と伝えられています。
1575年(天正3年)の長篠合戦で大敗した武田勝頼(たけだかつより)は、翌年要害山城の修築を命じています。
武田氏滅亡後も徳川氏により改修し維持されていましたが、羽柴秀勝(はしばひでかつ)が甲府に入り甲府城を築城したことにともない、武田氏館(躑躅ヶ崎館)とともに1600年(慶長5年)に廃城となりました。
現在は国の史跡に指定されており、山頂の本丸を中心に、虎口の遺構や野面積みの低石垣もわずかに現存しています。また、武田信玄公誕生之地の石碑が建てられています。
本格的な山城
城には山腹から主郭に至る通路に沿って枡形虎口に伴う門と曲輪が複雑かつ連続して付設されています。竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めている様子は、戦国時代の緊迫した状況を今に伝えています。
平坦にならされた山頂の主郭は東西約73m、南北約22mの広さがあり、土塁で囲まれていて、庭園の存在をうかがわせる大石も存在します。
アクセス
住所 |
山梨県甲府市上積翠寺町 |
アクセス |
・JR中央本線・甲府駅からバスで「積翠寺」バス停下車、登城口まで徒歩15分 |
関連・参考
<関連サイト>甲府市/要害山(ようがいさん)
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
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