別名 | 金鯱城 金城 柳城 亀屋城 蓬左城 |
地方 | 中部(東海)地方 |
所在地 | 愛知県名古屋市 |
旧国名 | 尾張 |
天守 | 外観復元天守 |
築城時代 | 江戸時代 |
築城年 | 1609年 (慶長14年) |
築城者 | 徳川家康 |
城タイプ | 平城 |
備考 | 日本100名城 |
信長移転により拠点も移動
名古屋城は古く那古野城と称し、駿河今川氏が築城し、後に織田信秀(おだのぶひで)が奪取して居城とし、織田信長(おだのぶなが)もこの那古野城で誕生しました。しかし織田信長(おだのぶなが)が清洲城に移ると、尾張の拠点は清洲城となり、1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦後も徳川家康(とくがわいえやす)の四男・徳川忠吉(とくがわただよし)が、1607年(慶長12年)には九男・徳川義直(とくがわよしなお)が清洲城主となります。
しかし大坂城には豊臣秀頼(とよとみひでより)がおり、徳川家康(とくがわいえやす)はその牽制として巨城を築く必要がありました。ただ、水害の多い清洲は、適地でなかったため、那古野の故地に名古屋城の築城が開始されました。
天下普請により完成~天下無双の堅城~
築城は諸大名を助役として動員する天下普請として行われました。1610年(慶長15年)閏2月に工事が開始され、年内にはすべての石垣が出来上がりました。完成した名古屋城は徳川御三家の尾張徳川氏の居城となります。
名古屋城の構造は那古野城の故地を二の丸とし、その北西に本丸を置き、本丸の西方には御深井丸と西の丸が配され、それらの南面を広大な三の丸で囲むという、梯郭式の縄張であった。方形の本丸の東側と南側虎口の前面には角馬出が構えられ、本丸防御を強固なものとしていました。
1612年(慶長17年)に完成した天守は初期の層塔型天守で、五重五階、天守台石垣の地階が設けられていました。
屋根は総銅瓦葺で、破風内も銅板で覆われていました。
しかし、1945年(昭和20年)に空襲で焼失し、現在の大天守は1959年(昭和34年)に外観復元されました。
大天守の金鯱
「尾張名古屋は城でもつ」と謡われた名古屋城の象徴は五重五階地下一階の天守であろう。この天守は実に姫路城天守の2倍強の面積がある史上最大の天守でありました。その大棟の両端を飾ったのが金鯱です。
その輝きは一里離れた東海道からも望むことができたと伝えられ、資材として266.6kg分の慶長大判、小判が用いられたといいます。全国で唯一の金鯱を載せた天守は1945年(昭和20年)5月14日の名古屋大空襲で焼失してしまいました。ちなみに南側の鯱が雌、北側が雄で雄の方がやや大きいです。
アクセス
住所 |
愛知県名古屋市中区本丸1-1 |
アクセス |
・市営地下鉄名城線 市役所駅およびJR名古屋駅から市バスで「市役所」下車、徒歩約5分 |
関連・参考
<関連サイト>名古屋城公式ウェブサイト
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
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