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観音寺城(かんのんじじょう)

観音寺城(かんのんじじょう) ニッポンノオシーロ~日本の名城一覧~
別名佐々木城
鷦鷯城
地方近畿地方
所在地滋賀県近江八幡市
旧国名近江
天守建てられていない
築城時代戦国時代
築城年1467年-1487年
(応仁・文明年間)
築城者六角氏頼
城タイプ山城
備考日本100名城
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繖山全体におよぶ石造りの城

鎌倉時代より近江守護職は佐々木氏によって引き継がれ、南北朝の動乱により構えられたのが観音寺城です。以後、佐々木氏の総領家六角氏の居城となりますが、1568年(永禄11年)に、上洛する織田信長(おだのぶなが)の前に六角承禎(ろっかくしょうてい)・六角義治(ろっかくよしはる)は逃走し落城しました。
金剛輪寺に残された「下倉米銭下用帳」によれば、現存する石垣は1536年(天文5年)に築れたことが判明しており、それは織田信長(おだのぶなが)の安土築城40年前という日本最古の本格的な石造りの城でありました。特に山城の主要部である本丸、平井丸、池田丸には巨石が用いられており、日本のマチュピチュとでも称すべき石垣です。 

日本最古の石垣造りの巨城~1000を超える曲輪を配置~

石垣によって築かれた曲輪は繖山全域に配置されており、その数は1000を超えるといわれ、城の規模も日本最大級です。主要部周辺の曲輪には布施淡路守丸や、目賀田摂津守屋敷といった重臣たちの名前がつけられており、山上部には、家臣団が屋敷を構えて集住していました。山麓に位置する天満宮は伝御屋敷と呼ばれる守護の居館跡で、高さ5mにおよぶ石垣が残されています。

観音寺騒動

1563年(永禄6年)、観音寺城主・六角義治(ろっかくよしはる)は、城内において重臣・後藤賢豊(ごとうかたとよ)父子を殺害しました。いわゆる観音寺騒動です。これに憤った進藤氏、池田氏、平井氏らの重臣たちは離反し、以後数年にわたって領国内は混乱が続きました。
ところでこの時進藤氏らは観音寺城内にあった屋敷に火を放って自領に引き上げたとあり、観音寺城内に家臣団の屋敷地が営まれていたことがわかります。その後制定された六角氏式目は家臣が六角氏に遵守を迫ったかたちで作成されており、主従関係の末期的状況がうかがえます。

アクセス

住所
滋賀県近江八幡市安土町石寺ほか
アクセス
・JR東海道本線「安土」駅から徒歩40分で登城口、「伝本丸跡」まで徒歩約35分

関連・参考

<関連サイト>観音寺城跡 _ 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!

<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社

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