別名 | - |
地方 | 九州・沖縄地方 |
所在地 | 宮崎県日南市 |
旧国名 | 日向 |
天守 | 建てられていない |
築城時代 | 戦国時代 |
築城年 | 戦国初期 |
築城者 | 土持氏 |
城タイプ | 平山城 |
備考 | 日本100名城 |
中世城郭に近世城郭が同居した城
飫肥城の創建は詳らかではありませんが、薩摩の島津氏が日向の伊東氏に対する境目の城として築いたといわれ、1568年(永禄11年)以降は伊東祐兵(いとうすけたか)が城主となりました。
その後、伊東氏は島津氏に大敗しますが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州平定では豊臣秀吉(とよとみひでよし)に臣従して領土を安堵され、関ヶ原合戦では東軍に与して移封されることなく、伊東氏の居城として明治まで存続しました。
シラス台地を利用した群郭式の曲輪配置は南九州地方の戦国期城郭の特徴で、その外郭に大手門を構えて近世城郭の体裁を整えました。
みどころ
- 松の丸、西の丸、本丸、松尾の丸等は戦国期の縄張で、曲輪裾部に近世になって石垣を築いています。
- 大手門が1978年(昭和53年)に松尾の丸の御殿が1989年(平成元年)に復元されました。
- 大手門脇にある豫章館は1869年(明治2年)に藩主・伊東祐帰(いとうすけより)が住んだ屋敷です。
- 城下の武家屋敷は重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
アクセス
住所 |
宮崎県日南市飫肥10-1-2 |
アクセス |
・JR日南線「飫肥」駅から徒歩約15分 |
関連・参考
<関連サイト>飫肥城歴史資料館|観光にちなんの旅 日南市観光協会
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
コメント