別名 | 深志城 |
地方 | 中部(甲信越)地方 |
所在地 | 長野県松本市 |
旧国名 | 信濃 |
天守 | 現存天守 |
築城時代 | 戦国時代 |
築城年 | 1504年 (永正元年) |
築城者 | 小笠原貞朝 石川数正 石川康長 |
城タイプ | 平城 |
備考 | 日本100名城 |
映える黒い天守!石川家が改修を重ね完成
松本城の前身は深志城といわれ、現在の本丸付近にあったと考えられています。武田氏滅亡後、一旦、小笠原貞慶(おがさわらさだよし)が入城しますが、1590年(天正18年)の徳川家康(とくがわいえやす)の関東移封に伴い小笠原貞慶(おがさわらさだよし)も関東に移り、替わって石川数正(いしかわかずまさ)が入城し、松本城の大改修にとりかかりました。
その改修は1613年(慶長18年)に石川数正(いしかわかずまさ)の子・石川康長(いしかわやすなが)が改易されるまで続けられました。
石川氏の後は小笠原氏が再び城主となりますが、2代で転封。以後松平氏、堀田氏、水野氏と替わり、戸田松平氏9代で明治に至りました。
日本に2基のみの五重天守
五重六階天守は現存する五重天守としては姫路城とこの松本城の2基しか残されていません。
大天守の北西には乾小天守、南東には辰巳附櫓が、その東側に一重一階地下一階の月見櫓が連なる複合連結式天守構造です。その造営は乾小天守が1593年(文禄2年)頃に石川数正(いしかわかずまさ)によって築かれた天守で、五重の大天守は1615年(慶長20年)頃に小笠原秀政(おがさわらひでまさ)によって築かれ、辰巳附櫓と月見櫓は1633年(寛永10年)に入城した松平直政(まつだいらなおまさ)による増築によって現在の姿 となりました。
足駄塀
明治初年に撮影された松本城天守の写真の1枚に内堀のなかに建てられた塀が写されています。足駄塀と呼ばれる塀で、水堀内に木杭を打ち込み、水面約1mほどのところに土台を敷き、その上に板塀を建てたものです。
板塀の屋根はほぼ本丸の石垣の天端と同じ高さとしています。この塀が倒れないように両側から斜めに控柱が水堀に向って突き刺され ていました。このように水堀を仕切る塀は他に類例を見ない特殊なもので、水堀内の移動を封鎖するとともに、城内より打って出る場合は倒して橋とする目的で構えられました。
アクセス
住所 |
長野県松本市丸の内4-1 |
アクセス |
・JR篠ノ井線 松本駅からバスで「松本城黒門」下車、徒歩約3分。 |
関連・参考
<関連サイト>国宝 松本城 – 松本城をより楽しむ公式ホームページ
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
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