別名 | 牧野城 牧野原城 扇城 |
地方 | 中部(東海)地方 |
所在地 | 静岡県島田市 |
旧国名 | 遠江 |
天守 | 建てられていない |
築城時代 | 戦国時代 |
築城年 | 1573年 (天正元年) |
築城者 | 馬場信春? |
城タイプ | 山城 |
備考 | 続日本100名城 |
外郭線に丸馬出を連ね、背後に断崖を控えた最強の城
諏訪原城は牧之原台地上の東海道を封鎖するように築かれています。 城の背面は大井川の断崖絶壁となっており、まさに軍学にいう「後 堅固の城」の教科書的立地です。
台地上に広がる城の正面には内堀と外堀の二重に巨大な空堀を巡ら せ、外堀には5か所に丸馬出を構えて、平坦な立地の弱点を克服して います。
とくに正面に配された2か所は巨大な丸馬出となっています。台地上に掘られた空堀は垂直に掘り込んでおり、降りることは不可能です。
丸馬出の採用などから武田氏築城の典型といわれ、その縄張は、馬場信春(ばばのぶはる)によるものと伝えられています。
しかし、発掘調査の結果、現在残る遺構は徳川家康(とくがわいえやす)による改修の可能性が指摘されています。
高天神城陥落とともに廃城へ
武田信玄(たけだしんげん)没後、武田勝頼(たけだかつより)が高天神城攻略のために大井川西岸に橋頭堡として築いたのが諏訪原城です。
1575年(天正3年)、徳川家康(とくがわいえやす)によって攻め落とされた後は牧野城と改称され、今川氏真(いまがわうじざね)や松平家忠(まつだいらいえただ)らが城主として入れ置かれ、徳川、武田両軍の攻防戦がくりひろげられました。
1581年(天正9年)に高天神城が陥落すると諏訪原城も必要性がなくなり、廃城となりました。
築城の名手・馬場信春
諏訪原城は武田家の家臣・馬場美濃守信春(ばばみののかみのぶはる)の縄張によって築かれ、城内に武田信玄(たけだしんげん)、武田勝頼(たけだかつより)の信仰していた諏訪大明神を祀ったことより諏訪原城と命名されたと伝えられています。
馬場美濃守は馬場信房(ばばのぶふさ)、馬場氏勝(ばばうじかつ)とも称する武田信玄(たけだしんげん)の家臣で、築城の名手であったといわれる人物です。小諸城の縄張も馬場信春(ばばのぶはる)によるものと伝えられています。
アクセス
住所 |
静岡県島田市 金谷 |
アクセス |
・JR東海道本線金谷駅下車 徒歩約30分 ・JR東海道本線金谷駅よりバスで「諏訪原城」下車 |
関連・参考
<関連サイト>諏訪原城跡 (すわはらじょうあと)|一般社団法人島田市観光協会
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
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