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新府城(しんぷじょう)

新府城(しんぷじょう) ニッポンノオシーロ~日本の名城一覧~
別名韮崎城
地方中部(甲信越)地方
所在地山梨県韮崎市
旧国名甲斐
天守建てられていない
築城時代戦国時代
築城年1582年
(天正10年)
築城者武田勝頼
城タイプ平山城
備考続日本100名城
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武田勝頼が築いた甲斐の新たな拠点

新府城は、長篠の戦いに敗 れた武田勝頼(たけだかつより)が1581年(天正9年)に甲斐の新たな拠点として築い たものです。新府とは躑躅ヶ崎館(武田氏館・甲斐府中) に対する新たな 府中として命名されたものです。
それは織田、徳川軍との戦いに備えた実戦的な城として築かれました。ところが翌年には織田軍が信濃、甲斐に侵攻したため、 武田勝頼(たけだかつより)が自ら放 火して放棄してしまいました。築城後わずか68日目のことでした。
武田家滅亡後は甲斐支配をめぐる争乱のなかで徳川家康の本陣として再利用されました。

名手武田氏らしい堅牢な要塞

城は釜無川にそそり立つ七里岩上に築かれており、地続きとなる北面には巨大な堀を構えて切断しています。この堀には出構と呼ばれ る土橋状の突出部が設けられており、橋頭堡の役目を果していました。
主要部には本丸、二の丸、三の丸などが構えられていますが、それらは方形に区画され、さらに仕切りの土塁を多用することによって 直進を妨げています。
大手は枡形となり、その前面には丸馬出と三口月堀がみごとに残されています。築城の名手武田氏最後の城郭として必見の城跡です。

虎口防御施設丸馬出

新府城の見どころは何といって も大手の丸馬出です。丸馬出とは、虎口の前面に三日月堀と呼ばれる堀を巡らせた半円形の小曲輪の ことです。小曲輪は両脇に設けられた土橋によって城外と結んでいました。この馬出を設けることによ り、虎口前面からの敵の直進を防ぐとともに、城兵の出撃拠点としての橋頭堡の役目も果していました。戦国時代後半の最も発達した虎口防御施設として評価されています。
特に武田氏は領国外の侵略戦で築城した城郭に多用しており、武田氏の築城の特徴の一つです。

アクセス

住所
山梨県韮崎市中田町中條4887
アクセス
・JR中央線新府駅から徒歩約15分

関連・参考

<関連サイト>新府城跡/韮崎市観光協会

<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社

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