別名 | 酔月城 穴城 白鶴城 鍋蓋城 |
地方 | 中部(甲信越)地方 |
所在地 | 長野県小諸市 |
旧国名 | 信濃 |
天守 | 残っていない |
築城時代 | 戦国時代 |
築城年 | 1554年 (天文23年) |
築城者 | 武田信玄 |
城タイプ | 平山城 |
備考 | 日本100名城 |
猛将・仙石秀久が 近世城郭に改修
小諸城は武田信玄(たけだしんげん)が山本勘助(やまもとかんすけ)、馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築かせました。1590年(天正18年)の小田原合戦の結果、仙石秀久(せんごくひでひさ)が城主となり、石垣 による近世城郭へと大改修を行いました。その後、徳川忠長(とくがわただなが)をはじめ親藩、譜代が城主として入れ置かれ、1702年(元禄15年)より明治までは牧野氏の居城となります。
その構造は穴城と呼ばれ、城下よりも城が低い位置に選地されています。しかし田切地形が複数の深い谷を形成し、城を天然の要害としています。
徳川家の天敵、秀忠進軍を阻止
その15年後、1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦では、東山道を西上する徳川秀忠(とくがわひでただ)軍が6日間もの間、上田城で進軍を阻止されてしまいます。その結果、徳川秀忠(とくがわひでただ)はついに関ヶ原合 戦に間に合わず、徳川家康(とくがわいえやす)の逆鱗に触れてしまいます。これが第2次上田合戦です。
上田城は方形の単純な構造ですが、南面は千曲川の支流である尼ヶ淵と呼ばれる深い淵に面し、断崖絶壁となっていました。近世城郭に改修されてはいますが、現在でもこの南面の絶壁を見ることができます。
かつては、七棟あった本丸の櫓のうち現存するのは西櫓、南櫓、北櫓の三棟です。
みどころ
- 城跡は1880年(明治13年)に神社を祀り、 懐古園と呼ぶようになりました。
- 三の門は二重の櫓門で国の重要文化財。また、大手門は慶長年間の二重の櫓門で国の重要文化財です。
- 天守台は仙石秀久(せんごくひでひさ)が築いたもので、巨大な粗割りの石材を用いた石垣は圧巻です。
アクセス
住所 |
長野県小諸市丁311 |
アクセス |
・JR小海線・しなの鉄道 小諸駅から徒歩約3分。 |
関連・参考
<関連サイト>小諸城址・懐古園 _ 信州・小諸|詩情あふれる高原の城下町|こもろ観光局
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
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