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竹田城(たけだじょう)

竹田城(たけだじょう) ニッポンノオシーロ~日本の名城一覧~
別名虎臥城
安井ノ城
天空の城
地方近畿地方
所在地兵庫県朝来市
旧国名但馬
天守残っていない
築城時代室町時代
築城年1431年
(永享3年)
築城者山名宗全
城タイプ山城
備考日本100名城
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城郭ファンを魅きつける天空の城

竹田城は石垣しか残っていませんが、急峻な山の山頂に構えられた壮大な石垣は多くの城郭ファンを魅了しています。その築城は1443年(嘉吉3年)に山名持豊(やまなもちとよ)によるものと伝えられ、戦国時代には但馬守護・山名氏の四天王のひとり太田垣氏の居城となりました。現在、石垣遺構とともに縁辺部に残されている曲輪や竪堀などの土づくりの城郭遺構はこの時代のものと見られています。
ところで現在残されている石垣は、室町時代のものではありません。豊臣秀吉(とよとみひでよし)が赤松広秀(あかまつひろひで)に命じて大坂城防衛構想の要として築かせたものと考えられています。1605年(慶長5年)に赤松広秀(あかまつひろひで)は鳥取城攻めの責により切腹し、竹田城も廃城となりました。

石塁、横矢などを効果的に配置~織豊系城郭の教科書~

城は臥牛山の山頂に本丸を置き、尾根上に両翼を広げたように北方へ二の丸、三の丸、北千畳を、南方へ南二の丸、南千畳を配し、西側には花屋敷を配して背面防御を強固なものとしています。本丸の中央には一段高く天守台がそびえています。各曲輪には仕切りの石塁を設けて直進を妨げ、花屋敷では曲輪両側面を石塁として、雁木坂を設けています。
また、石垣は随所で屈曲して横矢をかけるなど、織豊系城郭の教科書的存在の城です。

孔子廟

城主・赤松広秀(あかまつひろひで)は室町幕府の四職赤松家の末裔です。文禄の役で朝鮮より日本に拉致された儒者・姜流(きょうこう)は赤松広秀(あかまつひろひで)と交遊を行っています。その著書『看羊録』のなかで姜流(きょうこう)は藤原惺窩(ふじわらせいか)が「但馬の自領に孔子廟を自ら監督して設立した」と述べたと記しています。事実、竹田城からは朝鮮の瓦が出土しており、城のどこかに孔子廟が存在していたことはまちがいありません。

アクセス

住所
兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169
アクセス
・JR但馬線「竹田」駅から徒歩約60分

関連・参考

<関連サイト>竹田城跡公式ホームページ – 朝来市公式ホームページ

<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社

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