別名 | 烏城 金烏城 |
地方 | 中国地方 |
所在地 | 岡山県岡山市 |
旧国名 | 備前 |
天守 | 外観復元天守 |
築城時代 | 南北朝時代 |
築城年 | 1346年-1369年 (正平年間) |
築城者 | 上神高直 |
城タイプ | 平山城 |
備考 | 日本100名城 |
金箔瓦が輝く漆黒の天守
戦国時代の金光氏の居城であった岡山城を接収して居城としたのが、備前の戦国大名・宇喜多直家(うきたなおいえ)でした。その子・宇喜多秀家(うきたひでいえ)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)より寵愛され、備前・美作および備中・播磨の一部を賜り、豊臣政権の有力大名となりました。
岡山城はその居城にふさわしい大改修が施され、近世城郭の体裁を整えます。さらに関ヶ原合戦後に入城した小早川秀秋(こばやかわひであき)、池田忠継(いけだただつぐ)、池田忠雄(いけだただかつ)時代にも改修が行われ、三の外曲輪、西の丸などが整備されました。
1632年(寛永9年)に鳥取の池田光政(いけだみつまさ)との間に領地の入れ替えがあり、以後、池田光政(いけだみつまさ)系の池田氏歴代の居城となりました。
国宝の天守は戦災で焼失
城は旭川が大きく迂回する段丘に選地し、本丸、二の丸、西の丸、三の曲輪からなり、本丸は本段、中の段、下の段の三段で構えられ、本段には藩主の居館として本段御殿がありました。本段奥には、平面不等辺五角形で五重六階の複雑な構造をもつ天守がそびえていました。
外観は下見板張となり軒先には金箔瓦が葺かれ、国宝に指定されていたが1945年(昭和20年)空襲によって焼失しました。
1966年(昭和41年)に復元されますが、白壁部が小さくなるなど、まったく同じではありません。また、天守への出入り口は付櫓の塩蔵でしたが、現在では石垣に出入り口を設けています。
林立する櫓群
岡山城には64棟にのぼる櫓が構えられていました。なかでも、三階櫓や四階櫓といった大型の櫓が11棟も設けられていました。
本丸の南西隅に1882年(明治15年)まで存在した大納戸櫓は、三重四階の巨大な櫓で、沼城の天守を移築したものと伝えられています。沼城とは1558~70年(永禄年間)に宇喜多直家(うきたなおいえ)によって築かれた城です。
沼城からの移築伝承は江戸中期以降の記録にしか現われませんが、二階の大きな入母屋屋根に小さな望楼を載せた望楼型天守構造は、隅櫓としては異様であり、移築の可能性は高いです。
アクセス
住所 |
岡山県岡山市丸の内2-3-1 |
アクセス |
・岡山電気軌道「城下」下車徒歩10分 ・JR岡山駅からバスで「県庁前」下車徒歩5分 |
関連・参考
<関連サイト>【公式】岡山城ウェブサイト
<参考文献>「徹底図解 日本の城」 著者/中井均 発行/新星出版社
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